« ラテンの匂い満喫 垣根涼介「ワイルド・ソウル」(幻冬舎文庫) | トップページ | 警察小説の古典  久間十義「刑事たちの夏(上下)」新潮文庫 »

2009年2月15日 (日)

覆面作家は誰だろう?  サタミシュウ「おまえ次第」(角川文庫)

最近、私鉄駅構内の書店を中心に、網ストッキングを穿いた女の子の表紙の本が並んでいるのをご存知だろうか?帯にいわく、SM青春小説、「こんなふうに可愛がられてみたい」。サタミシュウ「わたしの奴隷になりなさい」「ご主人様と呼ばせてください」「おまえ次第」(いずれも角川文庫)。ベストセラー作家が覆面で発表している作品で、重松清ではないか、石田衣良ではないかと、ネット上でも話題になっている。

内容はまあ、ソフトSMというか、性的描写というよりも、Mっけのある女の子を命令に従わせるという形で男が支配していく他愛もない話で、これでもかこれでもかと延々と調教を続けていくうちに人格まで崩壊してしまうような、団鬼六とか越後屋とかのようなどろどろしたものは全く感じられない。

一読して、ああ、これはアニマを書いたんだな、と思う。

アニマというのは、男性の中に潜んでいる女性のことで、反対に女性の中に潜んでいる男性をアニムスと呼ぶ。ユング心理学の概念。

もう何の本で読んだのか忘れたが、動物(人間でも良い)が受精から胎内で成長していくとき、最初は性別なんかないらしい(染色体は明らかに違っているけど)。それが、ある時期に、強烈に男性ホルモンに晒されることで、男性の特徴(といっても胎児の場合はペニスができる程度)を獲得するらしい。誕生してからも、男女の区別はほとんどない。親が男の子の服装をさせるから、男の子に見えるし、女の子らしくさせるから、女の子に見えるだけだ。それが、もう一度強烈な男性ホルモンを浴びるとき、すなわち思春期に至って、はっきりとした男性らしさ、女性らしさが現れてくる。

なにが言いたいかというと、もともと男女の区別は、極めて小さい。4951くらいの差だ。思春期までは育てられ方により、人間は男にも女にもなれる柔らかい素材だ。それが、思春期から変わっていく肉体によって、あるいは男女の区別をする社会からの規制によって、男らしく、あるいは女らしく成人していく。この意味での成長は多分中年に差し掛かるまで続く。そして、当初4951程度であった、当人の中の男女差は、いつしか3070とか2080とかに拡大していく。

しかし、それは成長であると同時に、男性にとっては自らの心の中の女性を、女性にとっては心の中の男性を、抑圧していく過程であるとも考えられる。痴漢をしてみたり、女装をしてみたり、社会的には成功し、まさかあの人が、というような人が考えられないような事件を起こすのは、一部の本当の性倒錯者を除けば、大体において抑圧された自分の中の女性性(アニマ)が引き起こしたものではないだろうか。立派な男性であればあるほど、逆に抑圧は強いわけだから。

何度も引用して恐縮だが、河合隼雄の「無意識の構造」の中に、アニマ像にとらわれている男性の姿が

ある会社の部長は、最近入社してきた女性に対して、エロチックな空想にとらわれて悩まされる。堅く真面目に生きてきた彼にとって、彼女が好きとか、素晴らしいという感じはそれほど湧かないのに、彼女の体が彼の空想をかきたてるのである。このとき、彼の心をとらえているのは、彼の未成熟なアニマなのである。

と紹介されている。

だから、この本はほとんど中高年のおじさんが読んでいるんだろうと思う。駅構内の書店で、通勤時間に電車の中でちょっと読むために買う。

ポルノの専門書店とか、普通の書店内でもフランス書院の本と並べておいたりすると、殆ど売れないらしい。ディープな愛好者には、物足りないから。

しかし...

ネットを見ていると、「男の勝手な願望で女性の気持ちが分かってない」という批判と同時に、「わたしも可愛い下着を着て男の人に命令されてみたい」という女性のコメントも載っているから、やっぱり人間は不思議だ。

これはやはりあれかな、同じく「無意識の構造」にある

アニマ女性という女性が存在する。自我というものをほとんど持たないため、男性のアニマの投影をどのような物でも引き受けやすいので、外見的には男性によく「もてる」ことになる。その自我のなさは同性から見ると、まったくつまらないので、どうしてあれほどつまらない人が男性にもてるのかと、同姓からは不思議がられる。

と。そういえば、と思い当たる節があるよね。

さて、サタミシュウは誰だろう?

重松清じゃないと思うな。重松清にはやはり当初匿名で発表した「愛妻日記」(講談社文庫)というすぐれた官能小説があるし、最初の一編を除いては匿名を使っていないわけだから、今更匿名で書く必要はないと思うけど。

また、サタミシュウでは、男女は命令し命令される者であるが、お互いの存在はいつまでも謎であり、心の交流はないのに対し、重松清の「愛妻日記」ではゆがんだ情欲を妻にぶつけながら、やはり心の通い合う夫婦が描かれているから。

夫が変えたタバコの銘柄から、少女時代に受けた性的悪戯の記憶が甦った妻のために、援助交際を求める少女を探してやる夫の話「煙が目にしみる」なんか、ちょっと他には見当たらない秀作だ。

「ごめんね・・・ごめんね・・・」

千穂は歌うようにつぶやきながら、全裸になった少女の性器を指と舌でもてあそぶ。

彼女は、自分の少女時代、恐怖からその記憶を心の奥底に閉じ込めた少女の自分に、そう謝っている。

サタミシュウの第4作目が、2月末の角川文庫の新刊として出るらしい。乞うご期待。

|

« ラテンの匂い満喫 垣根涼介「ワイルド・ソウル」(幻冬舎文庫) | トップページ | 警察小説の古典  久間十義「刑事たちの夏(上下)」新潮文庫 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/532639/44070062

この記事へのトラックバック一覧です: 覆面作家は誰だろう?  サタミシュウ「おまえ次第」(角川文庫):

« ラテンの匂い満喫 垣根涼介「ワイルド・ソウル」(幻冬舎文庫) | トップページ | 警察小説の古典  久間十義「刑事たちの夏(上下)」新潮文庫 »